人生に意味はないと、よく耳にする。反対に、意味はあるとも、よく聞く。愛とは希望とはどういう意味か、などの問いも沢山ある。しかし、私は時々、そもそも、意味ってどういう意味なのだろうと思ってしまう。
この疑問に対して、言葉で答えるのは不可能だ。意味はどういう意味なのかと聞いた時点で、既に、意味という言葉を、何らかの意味で使っているからだ。意味の意味を、辞書で調べることはできても、そこに書いてあることに満足することは、決してできないだろう。
だから、意味の意味については、言葉で説明することはできない。
しかし、これを、感覚的に捉えることはできるような気はする。つまり、意味という言葉を使った時に、どんな感覚で、それを使っているかを、意識することはできる気がする。
私は、「意味がない」と「意味がある」は、どこかでつながってくるものだと思う。例えば、人生に意味がないと思う時でも、その瞬間、人生に意味がないと思うことには意味があると思っていることに気付く。すると、結局は、人生には意味があるということになってしまう。
このように、「意味がない」と「意味がある」は、どこかの点で、自然にひっくり返ってしまう。
しかし、これは、「意味がない」と「意味がある」が同じということではなく、「意味がない」と思う時の意味と、「意味がある」と思う時の意味とが、別の意味、別の感覚で使われているということだと思う。
「人生には意味がない」と思う時、大体、「どうせいつか死ぬのだから、何をしても無意味」などの理由がある。しかし、「人生に意味はある」と思う時、そう思う理由は「生きていれば良いこともあるに違いない」という感じなるように思う。
ここでどういう違いがあるかと考えると、前者の理由は、何らかの根拠の説明であると思えるが、後者の理由は、根拠というよりは、何らかの希望の表明であるように思える。つまり、前者は、感情を排して、論理のみで考えた結果であり、後者は、論理を排して、感情を押し出した結果であるように思える。
そのため「人生に意味がない」という時の意味は、論理的な、頭だけで考えるような意味で、「人生に意味がある」という時の意味は、感情的で、心で思うような意味ではないかと思える。
すると、結局のところ、意味にもやはり、何らかの意味があり、それは言葉にはできないものの、感覚的には、頭だけで考えたような意味と、心で思ったような意味があるように思える。
すると「人生に意味はない」と言っているのと、「人生に意味はある」と言っているのとは、言葉上では、あるなしで対立しているように見えるが、実際には、別のことを言っているように思えてくる。頭だけで考えれば、人生には意味はないが、心で思えば、人生には意味がある。ただ、それだけであり、どちらも正しいというだけのことになる。
最近は、「生きてる意味がない」とか「働く意味が分からない」とか「人付きあいをしたってしょうがない」とか、そういう風になりがちだと思うが、それは、頭だけで、ものを考えると言うことが、昔より増えているからだと思う。心で何かを自由に思うということが難しくなっているのだ。それだけ、しがらみが多く、身動きの取れない不自由な世の中なのだと思う。
私は、今できることと言ったら、それは、頭だけでものを考えるしかなくなっている現状を自覚することによって、心の自由を、絶えず、防衛し続けるしかないように思う。結局のところ、絶望しながら、平然と生きるより他ない。今の所、それ以外には考えられない。
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